松果体の働きと活性化の秘教的意義を 個人的体験を基にお伝えし、

ハートを意図的に開くことによって囚われている意識の階層からシフトする体験を共有します。

理論を理解し体験を深めて行くことで ご自身の信念体系=マインドセットを統合し、

傷ついた人びとを癒し サポートする意識の共同体を創り出します。

 

あなたが無意識の領域を意識化するまで、

無意識はあなたの人生を方向付け、

それをあなたは運命と呼ぶでしょう。

 

●意図

・覚醒と団結

 

●目的

・松果体の活性化

・ハートの解放

・脱カルト社会

・意識の共同体創出

 

●日時:1月10日-12日

・1日目 松果体 ー 意識を見るために   

 11:00 - 18:00 ※ランチ1h

・2日目 ハート ー 今此処に居続けるために

 10:00-17:00 ※ランチ1h

・3日目 マインドリセット ー 本当の自由を取り戻すために

 10:00 - 17:00 ※ランチ1h

 18:00~シェア懇親会(希望者のみ)

 

●料金 

・3日間通し

 新規:¥25,000

 復習:¥20,000

 認定:¥10,000

・初日~2日間

 新規:¥20,000

 復習:¥10,000

 認定:¥10,000

 

●会場

・伊那市内

 → 2日目のみ安曇野市内

 

●ご参考

・テーマ

 不安 おそれ 怒り 認知的不協和

 おカネ 恋愛 子育て

 タブー 罪悪感 葛藤 投影 自己欺瞞 偽善

 ヒーリング サイキック カルマ

 

・ワークショップ開催共催の募集

・参加者の声

 

●お問い合わせ

・メール:kotohogus@proton.me(おほくす)

松果体の働きと活性化の秘教的意義を 個人的体験を基にお伝えし、

ハートを意図的に開くことによって囚われている意識の階層からシフトする体験を共有します。

理論を理解し体験を深めて行くことで ご自身の信念体系=マインドセットを統合し、

傷ついた人びとを癒し サポートする意識の共同体を創り出します。

 

人びとが変化を望まない理由の一つは、

彼らが得るものではなく、

その代わりに失うものに彼らの意識が

向いているからです。

 

●意図

・覚醒と団結

 

●目的

・松果体の活性化

・ハートの解放

・脱カルト社会

・意識の共同体創出

 

●日時:3月9日-11日

・1日目 松果体 ー 意識を見るために   

 10:00 - 18:00 ※ランチ1h

・2日目 ハート ー 今此処に居続けるために

 9:00-17:00 ※ランチ1h

・3日目 マインドリセット ー 本当の自由を取り戻すために

 9:00 - 17:00 ※ランチ1h

 18:00~シェア懇親会(希望者のみ)

 

●料金 

・3日間通し

 新規:¥25,000

 復習:¥20,000

 認定:¥10,000

・初日~2日間

 新規:¥20,000

 復習:¥10,000

 認定:¥10,000

 

●会場

・宮崎市内

 

●その他

・懇親会 持ち寄り

 

●ご参考

・テーマ

 不安 おそれ 怒り 認知的不協和

 おカネ 恋愛 子育て

 タブー 罪悪感 葛藤 投影 自己欺瞞 偽善

 ヒーリング サイキック カルマ

 

・ワークショップ開催共催の募集

・参加者の声

 

●お問い合わせ

・メール:kotohogus@proton.me(おほくす)

「一霊四魂(いちれいしこん)とは、人の霊魂は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂から成り立つ、という、幕末の神道家の本田親徳によって成立した本田霊学の特殊な霊魂観である。

 

一霊四魂説のもっとも一般的な解釈は、神や人には荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま、さちみたま)・奇魂(くしみたま)の四つの魂があり、それら四魂を直霊(なおひ)という一つの霊がコントロールしているというものである。和魂は調和、荒魂は活動、奇魂は霊感、幸魂は幸福を担うとされる。」

 

幕末から明治にかけて、一部の国学者の間で流布した「一霊四魂」と言う概念は、ルドルフ シュタイナーの人智学によって説かれる人間存在の四つの体に 見事に照応しています。

 

 

荒魂:活動:物質体:肉体

和魂:調和:生命力体:エーテル体

幸魂:幸福:魂体:アストラル体

奇魂:霊感:霊体:自我

 

「一般に、「一霊四魂」は古神道の霊魂観として説明されるが、実際には幕末以降に平田篤胤の弟子である本田親徳によって唱えられた特殊な概念であり、古典上の根拠は一切なく、明治以降に広められた特殊な霊魂観であり、神道辞典などには一霊四魂という名称さえ掲載されていない。

 

各魂の名称は記紀などによるもので、『日本書紀』の「神功皇后摂政前紀」には新羅征討の際に神功皇后に「和魂は王身(みついで)に服(したが)ひて寿命(みいのち)を守らむ。荒魂は先鋒(さき)として師船(みいくさのふね)を導かむ」という神託があったとある。

 

また、神代には、大国主命のもとに「吾(あ)は是汝(これいまし)が幸魂奇魂なり」という神が現れ、三輪山に祀られたとある。『古事記』では、神宮皇后が、「墨江大神(すみのえのおおかみ)の荒御魂」を国守神(くにもりのかみ)として新羅に祀ったとある。」

 

Wikipedia「一霊四魂」より引用

 

三輪山の神は、大国主命の霊魂(自我とアストラル体)であると名乗っており、一説には和魂(エーテル体)であるとされることから、その解釈は、少名毘古那神(建御名方神)が根の国へ去った後 大国主命は帰幽し、その霊魂は三輪山の大物主神として祀られたということでしょうか。

 

いずれにしても、本田親徳が人智学徒であるはずはなく、これは同時代を生きたシュタイナーと本田親徳の間で生じた、ユングによる「共時性」あるいはシェルドレイクの「形態共鳴」の証明と言えるかもしれません。

 

まだ十八世紀のころの、ブルジョアジーのイデオロギーとしてのフリーメーソンは、ゲーテもヘルダーもモーツァルトもそのメンバーであったように、霊的な世界との関係をつける、純粋に精神的なシステムでした。ところがそのブルジョアジーが、十九世紀になって、帝国主義体制の主体となり、権力を握るようになったとき、自分たちの文化の根にあるオカルティズムを、権力の道具につくりかえたのです。それが十九世紀以降のフリーメーソンの実態です。

 

それ以来ヨーロッパには、さまざまな結社やオカルト・グループができて、今日のロータリー・クラブにまで及んでいます。その中心になっているのは産業界を背負っている人たちです。シュタイナーは、ここ数百年間、ヨーロッパがオカルト結社の支配をうけなかった時代は一度もないとはっきり断言しています。その点は今日でも依然としてそうであるどころか、ますますその傾向は強くなってきているようです。

 

フリーメーソンと名乗らないグループもずいぶんあります。政治団体をつくったり、社交クラブをつくったり、労働団体をつくったり、先進国首脳会議をひらいたり、さまざまですが、基本的にはフリーメーソン系であることを見ないと、現代社会の本質が見えてこないのです。

 

フリーメーソンには三十三とか、九十とかの位階があって、メンバーはその位階を一段一段上に上がっていきますが、このかたちくらい、典型的に権力を表しているものはありません。結社に加入して、何段階目かになったということは、すでに権力に組み込まれたということで、残るのは、いかにさらに上に登っていくかということだけです。そのトップにはどういう存在がいるかというと、オカルト的な文化教養を身につけた権力者がいます。

 

その人たちは、大体すごい財産家です。財産家は、いかにして子どもにそれを相続させるかが大問題です。ですから変な人間に自分の娘を嫁にやったらたいへんだとか、自分の息子の嫁には自分の家に見合っただけの財産家てないと、自分の財産が分散してしまうとかという不安感にいつもつきまとわれています。たった数億の財産でもそうなのですから、それが何兆何千億という財産になったら、当然自分の財産をいかにして子孫に伝えるかが大問題になります。

 

オカルト結社のオカルトとは基本的に何なのかというと、ある人物がこの世で巨大な権力と財力を身につけたときに、自分が手塩にかけて育てた人材と財産を死後になっても管理するためのシステムなのです。自分が死んだあとでも、自分の権力を失うことなく、死者として、いかにこの世に遺した人々に影響を与えうるか、いわゆる魔術というのは、基本的にはそのことをめざすのです。権力者が儀式魔術に関心を持つのは、そういうところからきています。

 

結社のトップは、魔術的な儀式の中で、霊媒を通じて語る死者のことばにしたがって、態度を決定します。結社とは自分が死んだら、自分が霊媒をとおしてこの世を支配できると思えるようなシステムなので、金持ちになり、権力を身につければつけるほど、結社の存在が重要になってくるのです。

 

このような結社が今日いろいろなかたちで存在しています。私たちが無意識に、あるいは感情の次元で唯物主義者になり、権力主義者になりますと、自分の周囲のそういうヒエラルキアになんとなく惹かれていくのです。たとえば身分の高い人がそばにいれば、その人と親しくなって、その身分に自分を近づけたいと思います。その人の中に権力主義と唯物主義があるから、そういう気持ちになるのです。

 

法華教にはおもしろいことが書いてあります。自分を信頼できない人は、何をしたらいいかというと、まず第一に国王や貴族には近づかないことだ、というのです。法華教にはちゃんと昔からそういうことが書いてあります。ところが今の時代の人びとの中で、自分は良心的な市民であり、物だけで生活しているのではなく、文化も教養も大事だ、と考えている人は、心の奥底では権力主義者なのです。そして権力主義者であれば、必ず同時に唯物主義者なのです。これは間違いありません。

 

そういう唯物主義者は必ず、社会の中には立派なヒエラルキアがあって、その中に組み込まれれば自分の身は安全だと思い、そのヒエラルキアに組み込まれたいと思っています。そのようなヒエラルキアは大企業という形でも存在します。そしてその企業が大きければ大きいほど、国際的な性格を持ち、そして国際的な性格を持つと、必ずフリーメーソンのような結社の支配を受けるのです。

 

こういう唯物的な世界が今日のヨーロッパ、あるいは日本を覆い尽くしていて、われわれの中に権力主義と唯物主義があるということをまず確認したかったのです。それが確認できれば「悪人正機」で、われわれも仏教と結びつく縁ができ、第八領界から脱する可能性が生じます。そしてそれを意識しなければ、このまま世界は破滅する方向へ行ってしまいます。

 

高橋  巖『千年紀末の神秘学』七  日本人の民族魂