まだ十八世紀のころの、ブルジョアジーのイデオロギーとしてのフリーメーソンは、ゲーテもヘルダーもモーツァルトもそのメンバーであったように、霊的な世界との関係をつける、純粋に精神的なシステムでした。ところがそのブルジョアジーが、十九世紀になって、帝国主義体制の主体となり、権力を握るようになったとき、自分たちの文化の根にあるオカルティズムを、権力の道具につくりかえたのです。それが十九世紀以降のフリーメーソンの実態です。

 

それ以来ヨーロッパには、さまざまな結社やオカルト・グループができて、今日のロータリー・クラブにまで及んでいます。その中心になっているのは産業界を背負っている人たちです。シュタイナーは、ここ数百年間、ヨーロッパがオカルト結社の支配をうけなかった時代は一度もないとはっきり断言しています。その点は今日でも依然としてそうであるどころか、ますますその傾向は強くなってきているようです。

 

フリーメーソンと名乗らないグループもずいぶんあります。政治団体をつくったり、社交クラブをつくったり、労働団体をつくったり、先進国首脳会議をひらいたり、さまざまですが、基本的にはフリーメーソン系であることを見ないと、現代社会の本質が見えてこないのです。

 

フリーメーソンには三十三とか、九十とかの位階があって、メンバーはその位階を一段一段上に上がっていきますが、このかたちくらい、典型的に権力を表しているものはありません。結社に加入して、何段階目かになったということは、すでに権力に組み込まれたということで、残るのは、いかにさらに上に登っていくかということだけです。そのトップにはどういう存在がいるかというと、オカルト的な文化教養を身につけた権力者がいます。

 

その人たちは、大体すごい財産家です。財産家は、いかにして子どもにそれを相続させるかが大問題です。ですから変な人間に自分の娘を嫁にやったらたいへんだとか、自分の息子の嫁には自分の家に見合っただけの財産家てないと、自分の財産が分散してしまうとかという不安感にいつもつきまとわれています。たった数億の財産でもそうなのですから、それが何兆何千億という財産になったら、当然自分の財産をいかにして子孫に伝えるかが大問題になります。

 

オカルト結社のオカルトとは基本的に何なのかというと、ある人物がこの世で巨大な権力と財力を身につけたときに、自分が手塩にかけて育てた人材と財産を死後になっても管理するためのシステムなのです。自分が死んだあとでも、自分の権力を失うことなく、死者として、いかにこの世に遺した人々に影響を与えうるか、いわゆる魔術というのは、基本的にはそのことをめざすのです。権力者が儀式魔術に関心を持つのは、そういうところからきています。

 

結社のトップは、魔術的な儀式の中で、霊媒を通じて語る死者のことばにしたがって、態度を決定します。結社とは自分が死んだら、自分が霊媒をとおしてこの世を支配できると思えるようなシステムなので、金持ちになり、権力を身につければつけるほど、結社の存在が重要になってくるのです。

 

このような結社が今日いろいろなかたちで存在しています。私たちが無意識に、あるいは感情の次元で唯物主義者になり、権力主義者になりますと、自分の周囲のそういうヒエラルキアになんとなく惹かれていくのです。たとえば身分の高い人がそばにいれば、その人と親しくなって、その身分に自分を近づけたいと思います。その人の中に権力主義と唯物主義があるから、そういう気持ちになるのです。

 

法華教にはおもしろいことが書いてあります。自分を信頼できない人は、何をしたらいいかというと、まず第一に国王や貴族には近づかないことだ、というのです。法華教にはちゃんと昔からそういうことが書いてあります。ところが今の時代の人びとの中で、自分は良心的な市民であり、物だけで生活しているのではなく、文化も教養も大事だ、と考えている人は、心の奥底では権力主義者なのです。そして権力主義者であれば、必ず同時に唯物主義者なのです。これは間違いありません。

 

そういう唯物主義者は必ず、社会の中には立派なヒエラルキアがあって、その中に組み込まれれば自分の身は安全だと思い、そのヒエラルキアに組み込まれたいと思っています。そのようなヒエラルキアは大企業という形でも存在します。そしてその企業が大きければ大きいほど、国際的な性格を持ち、そして国際的な性格を持つと、必ずフリーメーソンのような結社の支配を受けるのです。

 

こういう唯物的な世界が今日のヨーロッパ、あるいは日本を覆い尽くしていて、われわれの中に権力主義と唯物主義があるということをまず確認したかったのです。それが確認できれば「悪人正機」で、われわれも仏教と結びつく縁ができ、第八領界から脱する可能性が生じます。そしてそれを意識しなければ、このまま世界は破滅する方向へ行ってしまいます。

 

高橋  巖『千年紀末の神秘学』七  日本人の民族魂