「一霊四魂(いちれいしこん)とは、人の霊魂は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂から成り立つ、という、幕末の神道家の本田親徳によって成立した本田霊学の特殊な霊魂観である。

 

一霊四魂説のもっとも一般的な解釈は、神や人には荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま、さちみたま)・奇魂(くしみたま)の四つの魂があり、それら四魂を直霊(なおひ)という一つの霊がコントロールしているというものである。和魂は調和、荒魂は活動、奇魂は霊感、幸魂は幸福を担うとされる。」

 

幕末から明治にかけて、一部の国学者の間で流布した「一霊四魂」と言う概念は、ルドルフ シュタイナーの人智学によって説かれる人間存在の四つの体に 見事に照応しています。

 

 

荒魂:活動:物質体:肉体

和魂:調和:生命力体:エーテル体

幸魂:幸福:魂体:アストラル体

奇魂:霊感:霊体:自我

 

「一般に、「一霊四魂」は古神道の霊魂観として説明されるが、実際には幕末以降に平田篤胤の弟子である本田親徳によって唱えられた特殊な概念であり、古典上の根拠は一切なく、明治以降に広められた特殊な霊魂観であり、神道辞典などには一霊四魂という名称さえ掲載されていない。

 

各魂の名称は記紀などによるもので、『日本書紀』の「神功皇后摂政前紀」には新羅征討の際に神功皇后に「和魂は王身(みついで)に服(したが)ひて寿命(みいのち)を守らむ。荒魂は先鋒(さき)として師船(みいくさのふね)を導かむ」という神託があったとある。

 

また、神代には、大国主命のもとに「吾(あ)は是汝(これいまし)が幸魂奇魂なり」という神が現れ、三輪山に祀られたとある。『古事記』では、神宮皇后が、「墨江大神(すみのえのおおかみ)の荒御魂」を国守神(くにもりのかみ)として新羅に祀ったとある。」

 

Wikipedia「一霊四魂」より引用

 

三輪山の神は、大国主命の霊魂(自我とアストラル体)であると名乗っており、一説には和魂(エーテル体)であるとされることから、その解釈は、少名毘古那神(建御名方神)が根の国へ去った後 大国主命は帰幽し、その霊魂は三輪山の大物主神として祀られたということでしょうか。

 

いずれにしても、本田親徳が人智学徒であるはずはなく、これは同時代を生きたシュタイナーと本田親徳の間で生じた、ユングによる「共時性」あるいはシェルドレイクの「形態共鳴」の証明と言えるかもしれません。