「動物たちは、われわれと共に、この地上に生きている。しかし動物が苦しむのは、われわれ人間のせいなのだ。われわれは苦悩を克服する可能性をもっている。動物は苦悩に耐えねばならない。われわれは動物に苦悩だけを残し、自分たちだけがそれを克服する手段を手に入れている。」

 

このような宇宙感情を発達させるなら、動物に深い共感を寄せることができるようになるでしょう。暗い見霊意識の中で根元的な叡智を記憶に留めていた時代の人類は、動物に対する共感をまだ高度に保っていました。私たちは今、ふたたびこの霊的叡智を認識して、人類のカルマと宇宙のカルマとの結びつきを洞察しなければなりません。そうすれば、この共感がふたたび私たちの中に生じてくるでしょう。

 

唯物論的な思考が支配するというこの暗黒の時代には、宇宙的関連が何も分からなくなっています。地上のすべての存在が統一的な根源をもち、進化の過程で分離してきたにすぎない、ということを人びとは考えようともしません。人間と動物との関連を意識から覆い隠して、外的、物質的な世界だけに眼を向けています。そして、動物から受けた恩恵にひどい仕方で報い、動物たちを殺戮して食用に供しているのです。

 

このことは、私たちの世界観と感情生活との結びつきをよく示しています。感情とは結局、世界観の現れなのですから、世界観が変化すれば、世界感情もまた変化するのです。人間は、自分だけしか高度に進化させられませんでした。そしてまた、自分を高めるために、他の存在を奈落へ突き落とすことも平気でした。人間は、動物がカルマを解消する手段として個性を発達させることに協力しませんでした。動物はひたすら悩むしかなかったのです。

 

人間は、動物にカルマの法則に応えるすべを教えず、ただ苦しみだけを与えてきました。しかしその償いを、いつかはしなければなりません。それができるのは、人間が個性の自由と無私の態度とを真に身につけたときです。人間は意識的な態度で、動物と自分のカルマ的関連を理解し、そして次のように語れるでしょう。「私が今ここにいるのは、動物のおかげだ。私は個々の動物を影の存在におとしめてきた。しかしこれまで直接提供できなかったものを、これからの行動を通して、動物に提供する道を見出さなければならない」。

 

カルマの認識を通して、人間と動物との今以上の良い関係を、とりわけ西洋において、これからふたたび築いていかなければなりません。蹴落としてきた動物をふたたび自分のところにまで引き上げるために、人間は努力しなければならないのです。

 

このように考えれば、カルマと動物界との深い関係を見出すことができます。動物の運命は、けっして人間のカルマと同じものではありませんが、地球と人類の未来をよく考えてみるなら、人類のカルマと動物の関係について語ることができるようになるでしょう。